親は子供の守護者であり、最も重要な理解者である。その前提をまったくもって覆した、子に悪影響を与える毒親というものが存在する。最近では巷でよく聞くワードになったが、この本にその言葉の原型がある。子離れできない父母、製造物を管理するように己の意思の下に子供を型にはめこむ親、体罰や言葉のネグを繰り返し子供を委縮させる親、己を神の化身の如くして、子に絶対的な道を敷く親、監督責任を果たさず完全に野放しにする親。
まあ、いろいろな種類の毒親がいるわけだが、幼い子供たちに親は絶対的な存在であり、幼少期に受けたその傷や圧力は、いずれたき続けた圧力鍋のようにして何らかの形で爆発する。外に爆発するのか、その人の人格に影響を及ぼす内面で爆裂するのかは人によるのだが。
心の成り立ち
愛着理論(アタッチメント理論)のフィルタを通すと人が考えている事や何故そのような行為に及んだのかがおぼろげながらわかる。そのベースになっているのが幼少期の育成環境だ。愛着理論をさらに掘り下げて理解するにはこの将来の人生を左右することになる親と子の根本的な関係に着目する必要がある。今回親子関係がいかに育成環境に影響を与え、脳の神経配列に多大な影響を及ぼすのかがこの本によってより深く理解できた。
想像と意思
人は過去から逃れられない。逃れたように思っていても何か趣味やアルコールに逃避したり、依存したり、感情のアウトプットのさせ方が異様なものであったりする。フェチシズム。過去と向き合い、対峙すること、和解することによって道は開かれる。かつて自己暗示療法で名を馳せた医師、エミール・クーエは”想像力は意思を凌駕する”との言葉を残した。何かに恐れをいだいたり、悪いイメージをもてば、いかに強い意志を持とうとそれを乗り越えることができない。言い換えれば想像力をプラスに働かすことで、なおかつ意思と同一の方向に、目的の方向に向けることで人の力は乗数と化すと述べた。
個人的に非常に感銘を受けた言葉だ。ただそれゆえに気にかかることがある。想像力が人の力を倍化させたり、半減させるようなものであれば、アタッチメント(現実への認知や受け取り方、アウトプット)が歪んでいる人間はどうすればいいのだろうか。彼らの想像は常にゆがみ、悪い方向へと空想を走らせる。それを単なる個人の意思のみで解決することはゴジラを果物ナイフで倒すよりも難しいことではないのか。だが、本人がその認知を変えようと思わない限り、曇った認知が呼び込む想像は暗雲を招く。
では当人が向き合う気になった時、代替の安全基地になりうるであろう、何らかの補助者はいかに問題解決に力をかせばよいのか。
それをこの本は示唆してくれているような気がするのだ。
どのようにそのトラウマに立ち向かい、傷ついた心をいやすのか、幼少期に受けた親からの傷という人の心の暗所の一隅を照らすような、一つの啓示をくれる本である。
心の不毛
子は親が安全基地になることによって心を成長させていく。安全基地というのは、どのようなことがあっても子を受け入れ、許し、適切なタイミングでしかり、アドバイスし、子が向かうべき方向に進むよう見守り、時に手助けをする。どんな悲惨な目にあおうと、子供はその安全基地に帰り、心を養うことでまた力を蓄える。安定した状況の中、自意識を育み、自尊心を高め、自分というものを確立し、周りを受け入れ、外に飛び出していく。確固とした人生の主人公として。
しかし、その安全基地であるべき親が、子に対して危険地帯とかせばどうなるのか、子が行う行動を逐一批判する親、自分の意にそわない子の行いを徹底して批判し、人格否定、暴力をふるう親。機嫌がいいときはとことんおだて、機嫌が悪いときは暴力や罵倒に走る親。アルコールや薬物に走り家庭を破壊する親。趣味や不倫など自分の世界に突っ走り、家庭内を嵐の渦中に追い込み、子をほったらかしに、泣いて水たまりができても、冷厳な目すら向けない親。
そうして親が子に対する安全基地として機能しない家庭で育った子は、将来的に愛情のアタッチメントをゆがめる。いわば不安型(他人に過度に依存し、自己犠牲的になる)、回避型(愛から逃避し、幸福からも逃げる)、その両方を帯びた混乱型(不安型+回避型)と化す。幼少期にくらったトラウマを帯びた情感は種と化す。やがて成長した芽は生活を侵食し、行動や認知をゆがめる。深く根をおろしたトラウマは、生生なしい行いとなって繰り返される。同じ行動ではなくとも、脳神経回路に深く刻まれた不快な憎悪をともなった、底なしの不安と孤独をともなった不毛な行為によって発露する。
過去と対峙する
子は親に行われてきた幼少期の記憶を抑圧するか、無意識のうちに正当化するかして自己防衛をはかる。事実を否定し、親の行為を正当化するような理由付けをして逃げる。それは成長してからのアタッチメントに大きく影響する。問題を解決するには当人が向き合う意識を持つこと。当人が親と直接対峙すること、もしくは安全基地を提供するパートナーを見つけること。徹底した抑圧下にある過去の履歴を掘り下げ、己の認知がいかに歪んでいたのか、両親が間違っていたのか、ファクトベースで見つめる。過程ではなく、自分にそれがどのように影響を与えたのか。
安全基地を提供する覚悟のあるパートナーは、確固とした意思がなければこの問題を共に解決することは出来ない。補助者に何のメリットがあるのだろう、苦悩と不毛。情愛をすり減らすような苦痛があるだけだ。しかし、それを超えた理解と問題への対峙、解決があるなら、それは理性による愛の勝利なのかもしれない。
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