概要
舞台は1961年のロンドン。
16歳の少女、ジェニーが主人公。
彼女はオックスフォードを進学先に選ぶほど成績優秀。しかも容姿端麗の上、性格も明るいという、鮮やかな学校の華だった。

抑圧と奨励
一方、家庭内では父親の束縛が鋼のように強い。オックスフォードへの進学にまつわること以外の人間関係や趣味、主人公が行うことのすべてを否定する高圧的な存在。
彼女はその抑圧の下、一人家の中でパリの文化に心を焦がしていた。シャンソンのレコードや絵画、ファッション、言語、フランスにまつわるあらゆる文化を、自分のために輝いている星でも見つめるかのように、恍惚に思っていた。

土砂降りの雨の中
全身がずぶぬれになるほどの、土砂降りの雨の日。傘を忘れたジェニーは、チェロのケースを引っ張りながら下校していた。
そのさなか、レトロな高級車に乗った男が声をかけてくる。
「君のチェロが心配だな。君ごと家まで送ろうか?」
これが後に恋人となるデイヴィットとの出会いだった。

始まりの人
彼はジェニーとは20歳は離れている。
だが、デイヴィットは教養豊かで、会話のウィットにも富んでいる。二人は音楽会を共に行くことを契機に、何度もデートを重ねることになる。そのたびにジェニーは彼がいざなう今まで見たことのないあでやかな世界に、目を輝かせる。
やがて二人は恋人となり、共にパリに行く。

終わりにあらず
ここまでは通常の恋愛映画のよくある流れと変わりないだろう。
後半の展開。
結論から言えばデイヴィットは妻帯者であり、仕事は美術品の盗品を売買する泥棒件詐欺師だった。
彼女は彼に純潔をささげるも、婚約がかなわぬ現実を知る。
別れが来た。
今まで敵対していた両親や教師たちに悩みを打ち明ける。彼らは心から彼女を支えるようになり、和解する。
やがてジェニーは大学へ進学し、彼女の人生は新しい段階を迎えることになる。
そこにデイヴィットの姿はない。記憶の残影が煙るだけだ。

始まりに過ぎない
17才の肖像。結末は賛否両論だと思うんだが、こういう終わり方でなければ、平凡な映画で終わっていたろうね。まるで味気のないスープのように。
作品を興味深くしている点がいくつかある。
まず1つ。ジェニー演じるキャリーマリガンの美しさ。そしてみずみずしさ。これは香気ただよう果物のとれたてといった感じで、他の役者には中々だせるもんじゃない。
2つめは対比効果。人や物事を対比させることで劇中の人物をうまく引き立てている。
デイヴィットとジェニーは二回り離れているものの、デイヴィットにはあって、ジェニーにはないもの。そしてその逆もまた多い。それはその関係の中からでしか生じてこない。それは富であり、教養であり、紳士的振る舞いであり。彼女は若さと純烈さ。
また、彼女のボーイフレンドになろうとしている男の振る舞いが非常に稚拙で、それもまたデイヴィットの魅力を引き立てる対比効果高めていた。
そして出会いの劇的なシーンから、あらゆる面で的確に彼女や彼女に関する人々の人心掌握をしていく彼の力。そしてそれをこぼれ落としていく後半と。
結果としてオチに見える彼の最悪なところ、
物語を書く人間の醍醐味というのは、丁寧に築き上げてものを徹底してぶち壊せることだろう。
読者をひきつけ、魅了するストーリーや登場人物を創り、それを愛させる。だが、それはギャップとどんでん返しをつくるための材料に過ぎないのだ。
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