概説

SF漫画家として知る人ぞ知る吾妻ひでお氏。1989年に突如失踪、路上生活者となる。その後通常生活に戻るもまた失踪、路上生活、ガス管工を通じ、帰宅。やがてアル中生活、依存症の治療施設へ。問題や核心から避ける逃避型の人間が、仕事に追い詰められた末、逃げに逃げて死にかける陰惨極まりない物語を、コミカルに描く。強烈な実体験記。

路傍の男

凄まじい本だこれは。今年読んだものの中でも格段の攻撃力。前半、中半部は主人公の失踪生活。後半はアルコール中毒者になる過程と、治療記の構成。
SF漫画家として人から憧れられるようなキャリアを築いた主人公が、原稿の納期を守れなかったことを契機に突如失踪。路上生活者にジョブチェンジする。当時の日々をなぞりながら浮かび上がってくる生活の実態像は中々に興味深い。深夜人がいなくなったところを徘徊し、ゴミをあさりつつ腐った弁当や食べ残し、廃棄処分になった弁当や材料を収集。畑にうわっている大根を盗んだり、ホームレスが備蓄していた食料を盗んだりも。たばこは人が吸ったしけもくを拾い、酒は酒屋の廃品や人の捨てた酒瓶の底から数滴を拾い集め、1瓶にまとめ、飲む。正直見ているだけで気持ち悪くなってくるのだが、生存という最低限度の生活ラインを地べたに這いつくばりながら超えていく様はたくましいものがある。図書館に頻繁に出入りし、本を借りつつ昼間のヒマな時間を過ごす描写など、皮肉な面はあれ、ある意味ではいにしえの賢者たちがあこがれた晴耕雨読の日々といえるのではないか。竹林の七賢なる賢者たちの中にも奇行で知られる人間がいたようだが、それに近いところがあるかもしれない。

酒に溺れる

アルコール関係の書籍は酒をご飯にし、ドラックをおかずにしながら死んでいった作家の中島らも、日常生活を題材としたコミカルな漫画を描くキツ子のアル中ワンダーランドなどを最近読了した。皆幻覚や不安感、手の震えやどうしようもない飲酒への渇望など、アルコールが精神と肉体に邪悪な栄養を供給する飯と化してしまった人たちの体験記だったが、これはその中で最も強烈な破壊力を持つ。前者らが対戦車ライフルほどの威力があるとすれば、こちらは小型核弾頭程度の壊滅力があるだろう。前半の路上生活記も家のない人々がどのように生活しているのかという点で興味深くはあったのだが、後半のアル中パートは比較にならないほどすさまじい。人生をすり減らしながら巻き起こした竜巻のような日々だ。この作者が生きているのが不思議なほど。

地獄へのスパイラル

朝から晩まで酒を飲み続ける状態のことを連続飲酒というが、主人公は365日一日24時間、酩酊の状態があたかも正常のように繰り返される。アル中街道のど真ん中を行くわけだ。やがて酒が切れ始めると手が震え、脂汗が出、ふらつき、謎の不安感にさいなまれ、幻覚が見え、鬱、自殺願望にとりつかれるようになっていく。酒を制御したくとも摂取をやめたとたんに、不快な精神、身体症状が発生するのでやめられないのだ。
彼は墜ちていく。酒でできた深い泉、その泥濘の底に、遥か奈落の底辺に。それでも彼は飲む、呑み、酒に呑まれていく。性の悪い女に取り込まれて、人生を不意にする男のように。

ある時呑みすぎ記憶を失ったところをおやじ狩りに合う。家族に保護されたのち、そのままアルコール治療施設へ入院。治療への道へとへそを向ける。

回避型人間の極致

この人はアタッチメント理論における回避型、もしかすると回避型人格障害の可能性もある。簡単に言えば問題の核心、他人の愛情から逃避して身を守ろうとする人間のことだ。回避型傾向が強い人間であればあるほど、重要な問題、愛情に対する反応から逃避する。結局は幸福からも逃げることになるのだが。本人に変わる気がない限り、周りが苦労する。
悲惨な物語なのだが、作風はコミカルで、陰惨な描写もどこかギャグマンガのテイストを帯びている。暗さがない。著者も本当に悲惨な部分は避けてあると書いてあるが、おそらくそれと向き合う痛みからも逃げているんだろうなとは思った。妻や子供たち、仕事に関わる人間たちがどれほど彼の事を心配したのだろうか。
この作者のこの漫画は非常に貴重なものだと思う。成功した漫画家が路上生活を体験し、ガス管工となり、アル中の極みに達する。人にはわからない境地に立った人間が見た世界というのは、天国とも地獄とも程遠い、生命が生きるために生きるだけの監獄。食事をし、排泄をし、寝るだけの繰り返し。人は皆そうなのかもしれないが、それだけではないはずだ。にもかかわらずゴミのようなものをたべて糊口をしのぐ路上での日々や、手足を拘束具で縛られながらベッドに押さえつけられたアル中治療記でのワンシーンなど、語らずにしくはなし。
この人は才能があるから核心部から回避してもなんとかなったのだろうが、そうでない人はどうなっていくのだろうと思った。持ち前の才能と、悪運の強さがこの人を救ったのだろう。
何にしてもすさまじい。実体験から描かれるものが文学であるなら、これは至高の文学の一角だ。

失踪日記2 アル中病棟

概説

アル中病棟2、失踪日記の続編。連続飲酒を繰り返す生活。血中アルコール濃度が薄まりだすと、幻覚や不安感などの精神症状、嘔吐や吐血、手の震えや悪寒、不眠など身体症状なども発し、心身ともに異常をきたすようになった主人公。彼は家族の手によって強制入院させられる。そのアル中依存症患者たちが集う病棟の中で繰り広げられる多種多様な人間模様が描き出す日々の記録。

極彩色の溝

寸借詐欺をして小銭をせびっていく入居者、何の脈絡もなく突如切れだす患者、毎晩就寝時相部屋の中央に排泄する患者、重度の糖尿病なのに夜な夜なカップラーメン大盛りを食べ続ける入居者、ちょっとしたことがあるとストレスで一日の食事が喉を通らなくなる患者、国の補助を受けるためだけに生きて暴飲を繰り返す人生を放棄した人間などなど、動物園や水族館のように多種多様な性向を持った人間たちが登場する。
施設内での生活は起床から就寝(睡眠薬や安定剤を飲んで寝る)まで綿密に決められており、不摂生が入り込む余地がない。あるとすればたばこや甘いものへの依存。酒をやめることでドーパミンが不足するが、甘いものやたばこでそれを補う傾向が依存症患者にあるようだ。酒を飲みすぎた人たちが己の失敗談を共有する断酒会や、規則正しい栄養摂取、生活を通して、主人公の吾妻ひでおの精神と身体は修復されていく。おどろいたもので入院前は肝硬変寸前、いつ死んでもおかしくない肝臓の健康数値であるγ-GTPが1500近くあった主人公が、退所後には黄疸もなく健康で退所することだ。肝臓というのはよほど働き者らしい。

地図はあっても、たどり着けない

アル中患者の精神病理は、幼少期に受けたトラウマに起因することが多いようだ。主人公も幼いころに両親が離婚したり、重病になったすえに放置気味にされた、義母にいじめににたスパルタしつけを食らったことなど、本来安全基地になるはずの家庭が、基地として機能していなかったように思える。それともう一つ、アル中患者に間接協力をしてしまうのは共依存型の家族であるということ。幼いころに家族が何らかの理由で無茶苦茶になり、それを救えなかった辛さや抑圧した願望が、ダメ男やダメ女に尽くす性向の原因となり、結果としてアルコール依存症の家族の味方、援助をしてしまう。自立から遠ざけるどころか悪化させてしまう。アル中の夫、鴨志田穣を献身に介抱した、漫画家の西田理恵子も似たところがある。彼女も親がアルコール依存症の家庭で育ち、それを救えなかったことが外せない後悔の枷になっていた。
人の心理は潜在意識が大半で構成されているが、それらが生み出す非合理な行動の一つ一つの原因は、過去というパンドラの箱に詰まっている。
なんとなく、ジョンレノンの曲、Motherを思い出した。

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本郷航

代表取締役社長/CEOG2株式会社
G2株式会社代表取締役社長。 司馬遼太郎が描いた偉人達、北方謙三らが描いた熱い英雄たちの物語に影響を受け、高校在学中から起業を志す。 大学在学中からさまざまなビジネスに手を出し、株式投資も並行して行う。その後海外向けの高級ガジェット専門店を立ち上げ、売却。 有田焼ギフト専門店(ジェイトピア)を創立。 あらゆる業界人が焼き物を決してネットで売ることはできないと断定する中、業界を代表するECプラットフォームを構築。新垣結衣、櫻井翔主演のドラマ等のスポンサーも。 ネット社会において、本来ブランド力や技術のあるサービス、物などのブランディング、マーケティングによる価値創出を理念とする。