幾多の英雄たちが天下統一の覇権を目指し、生じては夢の如く消え去った戦国の世。
四国の辺境、鬼が棲む鬼国とすらいわれたド田舎の土佐に、一人の典型的英雄が生まれる。その名は長曾我部元親。
幼き日は姫若子と呼ばれるほど内面が繊細で、おそらく同年の女子よりも女々しい男だった。
家督を継いだのちは、内面に分厚い鎧を被ったかのように己のそうした弱さを覆い隠し、最前線で戦い続け、鬼若子と呼ばれるほどの大将となる。
天性の武略と知略を用い、画期的な内政、外政を展開。本山氏、安芸氏、一条氏が割拠する高知を瞬く間に統一。そしてはずみ車がついたように、さらに加速した勢いで四国統一を果たす。
だが、時代の命運は重く過酷な運命を元親に与えた。
まもなく羽柴秀吉の四国征伐軍20万人が領土に殺到、抱える4万の兵で善戦するも降伏。
四国四県のうち、3県を没収され、彼の天下統一への夢は終わる。
秀吉の九州征伐に付き添い、戸次川の合戦で自軍総大将、仙谷権兵衛の無謀な指揮の元戦闘。最愛の嫡男を乱軍の中失い、鬱の底へ。
天下分け目の関ケ原では家中へろくな指示を送るでもなく、その直前に没す。
時代に翻弄された、田舎生まれの繊細な英雄の物語。
鳥なき島の蝙蝠
物語の始まりは、元親の正妻である織田家出身の菜奈が、土佐へ婚姻に赴くタイミングから始まる。
当時元親は土佐統一途上の小大名であり、信長は美濃と尾張を保有するのみの、大大名とは呼べぬ勢力であった。
菜奈は織田家に仕える斎藤利三の妹であり、家中でも評判の美人。
戦国当時、各々の大名が治める領地というのは、外国のようなものであり、元親のおさめる土佐は鬼の棲む鬼国と呼ばれていた。
中央とは情報が隔絶し、魑魅魍魎が棲む鬼が島のようなイメージであったのだろう。
それでも冒険好きで果敢な菜奈は、長曾我部家からの婚姻をあえて受ける。
いずれ天下を一手に治める織田家と、四国の覇者へと駆け上っていく長曾我部家は、妙縁によって結ばれることとなる。
若年時はその女々しさと美しさゆえに、姫若子と呼ばれた元親だったが。
小勢で多数の軍を最前線に立って幾多と打ち破るうちに、鬼若子と呼ばれるほどの大将となっていた。
土佐一国は人口が少なく、国力が心もとない、彼は内政、軍政においても能力を発揮。
特に目を引くのが一領具足の制度。日頃農業に従事している農民たちを、半農半兵とすることで少ない兵力を補充。
彼らを戦闘の軸に置くことで剽悍な兵隊へと洗練。死生知らずの野武士なりと後世呼ばれるほどの戦闘集団となる。
英雄の惨禍
星が流れるほどの速度で四国を統一した元親だったが、天運に恵まれなかった。20万人の秀吉軍が一挙に四国に攻め入ってくる。元親率いる4万の長曾我部軍は各方面で善戦し、時々勝利を得たものの、面の戦いでは敗北。秀吉に降伏することとなる。そして領土4国の内、3国が没収されてしまう。
これは長曾我部元親としても、それに付き従ってきた部下からしても悲惨としかいいようがない。みな命を張って戦ってきたのは家の発展のためであり、拡大した領土を封土されるから他ならない。
その夢が一瞬にして覚めてしまった。四国を統一した時は元親バブルの絶頂であったが、その後の敗北で泡のようにすべてが消えてしまった。
元親が政略、謀略、軍略に優れた四国の英雄であることは間違いはない。ただし大きな視野で時節を見るのに優れていたかどうかはまた別問題だろう。
四国統一の挫折、戸次川合戦での最愛の息子の戦死、関ケ原合戦寸前の傍観。
この人は四国統一が終わった時、夢が死んだのだな。
この姫若子と呼ばれたほど軟弱で繊細だった男を、大名として保たせていたのは夢だったのだ。そして付き添ってきた部下たちへの責務。
それがすべて失われてしまった。
その時に、この人は死んだのだ。
いつか勝利の旗のもとで
3男の盛親が家督を継ぎ、彼の判断によって関ケ原では西軍につく。
その敗戦によってすべての領土を失う。
代わりに土地を治めることとなったのは、家康恩顧の大名である山内家であった。
その統治は幕末まで続くことになる。
浪人となった長曾我部盛親は、大阪の陣に西軍側として参加。浪人となった長曾我部家家臣たちと共に出撃。
奮戦するも壊滅。長曾我部家は滅亡した。
幕末、長曾我部家の末裔たちが倒幕の主軸となり、不俱戴天の徳川幕府を滅ぼすにいたるまで、250年の時を待たねばならない。
追記
伊達政宗と長曾我部元親は、生まれてくる時代が遅かったこと、始まりの地域が京都(天下に号令をかけるために必須)から遠かったこと、天下を目指せる実力があったことだ。
類似点は多いが、決定的に違うのが、晩年の脂ぎった野心だろう。元親は枯れ果てた。政宗は老軀であれ、心は天下を走った。
馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何馬上少年過ぐ
世平らかにして白髪多し
残躯天の赦す所
楽しまずして是を如何にせん
天下を目指し、老体となった政宗。
されどどこか虚無感を抱きつつも、楽しまずてどうするのかという若干のやけっぱちと、悔悟を感じさせるものが良い。
長曾我部元親は晩年抜け殻となるので、そういった生気すら感じない。
話はそれるが、改めてみると曹操の漢詩も素晴らしい。
老驥、櫪に伏すも、志、千里に在り。
烈士暮年、壮心已まず。老いたる駿馬は馬屋に伏すも、その志は千里を馳す。
烈士もまた年を経て、その壮心は已むことなし。
元親も息子が戦死した際、自殺を口走るほどの感情家だし、曹操も政宗も詩を読む英雄だった。
みな多情で、激情を胸奥に抱えていたのだろう。天下への夢が折れた瞬間、それが己の精神を焼き尽くす者もいれば、いつまでも熱い溶岩のように煮えたぎっている男たちもいた。
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