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概説
フカヒレの歴史はせいぜい三百年、北京ダックはたかだか百年あまり。それ以前の中華料理とはどのようなものだったのか? 異民族との交流により中華料理は大きく変貌してきた。見知らぬ素材やレシピという異文化を中国人は貪欲に取り込んだ。中華思想も蛮夷の料理は拒まなかった。中華料理のなかにはハイブリッドな中国文化のエキスが濃縮されているといるのだ。孔子の食卓から開放経済下の新香港料理まで、中国の風土、異文化交流という大きな視野から描きだす、芳醇な中国文化史。
感想
実に興味深い本だった。
中華料理の変遷はまるで中国の歴史そのもの。
以下感じたことを記す。
曹操は麻婆豆腐を食べない。
中華料理はフランス料理、トルコ料理と共に世界三大料理に数えられている。世界でも日本でも最もポピュラーな外国料理であることは間違いない。
しかし、マーボー豆腐やチンジャオロース、餃子、ラーメンなど誰でも知っているような人気料理は、ごくごく最近成立した現代料理であって、中国4000年の歴史の間、そうでなくとも古代の三国志の時代から長らく食べられてきたものではない。
曹操はここ100年の間に生きていた人たちとは全く異なるものをたべていたわけだ。
蜀(四川地方)の劉備は四川料理を食べない。
中華料理といえば、唐辛子を多用した口腔を焼くような四川料理が有名だ。
しかし、そもそも唐辛子が中華に伝来したのは17世紀末で、食用として栽培されるようになったのが18世紀末。
つまり、現代の四川料理とそれ以前の料理というものは全く異なる。
蜀(四川地方の国家)の建国者である三国志の劉備が食べていた料理は今イメージする四川料理とは全く違うものといっていい。
信長はフカヒレを食べない。
もとい高級料理であるフカヒレが記録に残るようになったのは、300~400年前の清時代からの文献からであり、それ以前の元代の本にはまったく叙述がない。一品ものをおく中華店では同じみの北京ダックですら歴史は100年程度。
中国の食文化は中国の歴史である
中国の食文化は、異民族の侵略や支配、西域との交易、新しい調味料の発明、自国の経済的発展など、いくつかの原動力の元、ダイナミックに変遷してきた。中国の王朝が変わるたびに大きくかわっていく食事文化というものは、中国そのものの歴史の特徴のように思える。
現代人が想定する中華料理というものは、4000年間そっくりそのまま大陸に存在していたわけではない。紀元前には肉は豚肉を中心に、庶民階級は豆、上流階級はモチキビなどをごちそうとして食す。煮る、焼く中心の料理。手づかみでの食事。漢の時代には異民族の粉食の食べ方が普及し始め、餅(パン)や麺の形状で麦料理が大きく普及する。外食業も発展し、庶民にも豊かさが下って行った。
3国、6朝時代には異民族が中原に乱入し、彼らの調理方法や料理文化が更に流入。各異民族のパートナー的存在だった犬の食事が忌避され始め、北魏の初代皇帝の仏教信奉によって禁止される。
宋代の食事は油をつかった炒め物があまりなく、おひたしやおすいものなど、食材の味をひきたたせる、日本料理のようなものを食べていた。文人階層の趣味が影響か。元代にそれら食事は残らず。
元代は羊肉尽くしの宮廷料理。
明清代、フカヒレ料理など現代でも目に入る高級食材が宮廷に並ぶようになる。唐辛子がようやく伝来。現代中華料理の姿が歴史の地平に浮かび始める。
時は進み、調理方法、香辛料、食材の多様化、異文化の流入など、あらゆる要素がダイナミックに混ざり合いながら今日の中華料理に至る。
曹操と激辛を
大名や社長、格闘家やスポーツ選手など人を統率する立場にある人や競争の場にいる人間は、テストステロン値(男性ホルモン)の量が通常より多いらしい。
また、テストステロン値(男性ホルモン)の高い人は辛い刺激物を食べる傾向にあるそうだ。
ということは曹操や劉備など、三国志の英雄たちも辛いものが好きだった可能性がある。
曹操は麻婆豆腐を食べなかったが、もしあの時代に調理方法と食材があったのなら、きっと激辛のものを食べたと信じている。
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